TRAVEL〜Balkan Peninsula(2019.10.7〜10.14?)〜

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【6日目(2019年10月12日)】
〜スケジュール〜
7:55 専用車にてホテル出発
【モンテネグロ】コトルへ
11:30 コトルのレストランにてランチ
12:30 【モンテネグロ】コトル観光
13:30 専用車にて【アルバニア】ティラナへ
19:00 ホテル着
ティラナのホテルのレストランにて夕食

日付が変わって、3時すぎ頃。
急な腹痛で目が覚めました。
しかも、尋常じゃない下腹部痛でトイレに駆け込みましたが、下しているのは明白なのにものが出ず、だんだん気持ちが悪くなってきました。
これは何かと考えましたが、考えつく理由は一つ。
牡蠣にあたった…Σ(。_。;)
ただでさえエアコンの室温が上がらず寒いのに、冷や汗をかいて余計に寒くなり、震えが止まらなくなって、指先が痺れ始めました。
添乗員さんに報告して、病院行きが頭をよぎりましたが、ツアーの足でまといになりたくない思いから、必死で耐えて様子を見ました。
幸い防寒具は大量に持ってきていたので、カイロを腹部や背中に貼って暖をとり、整腸剤を飲んで、5時半を過ぎてきた頃少しずつ腹痛が治まってきて、指先の痺れ・吐き気も治まってきました。
まさかこんなコトで防寒具が役に立つなんて。。。

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全く眠れず、疲労困憊の朝を迎えました。
ワタシの苦闘をよそに、天気は快晴。
また再発しないかヒヤヒヤしながら、ツアーに合流しました。
もちろん朝食は取れず、水分もトイレが心配で取れませんでした(T_T)

皆さんに心配をおかけして、いろいろと気遣って頂きながらホテルを出発。
ワタシ以外は皆さん無事で何よりでした(^。^;)
しかし、シャワーの水騒動はどうも皆さんそうだったようで、ボイラーが故障していて全ての部屋をまかなえるほどのお湯が出ず、ホテルに着いてすぐ出かけなかった方たちも水風呂を浴びていたそうデス。
まさか、こんなタイミングでホテルの設備に苦しめられるとは…

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この辺りに来ると、バルカン半島諸国はイタリアに近い国々とはいえ、ヨーロッパ諸国の一部として発展しているように見えても、実はまだまだ発展途上国なんだと実感しマス。
ワタシは、美味しいレストランは店内に清潔感があり、特にトイレが綺麗だという持論がありマス。
クロアチアは他のヨーロッパ諸国と大きく変わる印象はありませんでした。
スロヴェニア,ボスニア・ヘルツェゴビナの都市部は、ホテルのほか数ヶ所しか寄りませんでしたが、その辺りは不快な印象はありませんでした。
しかしこの日、更に半島を南下して行くと事情が一変してきました。
モンテネグロに近づくと、ドライブインのトイレは駐車場に併設された簡易トイレ。
しかも、備え付けの紙は無く、トイレ賃を受け取る門番から手渡されるペーパーを持って、男女関係なく同じトイレに誘導されマス。しかも、ペーパーも微妙に湿っているような…
更に海沿いのカフェは、風貌・店内こそありふれたヨーロッパのカフェで、ワタシたちを含めアジア系の方がたくさん利用していたのデスが、トイレ賃を請求された上に掃除は行き届いておらず、トイレのドアも壊れていました。
インフラの装備が、国の水準を反映していると実感しました。

モンテネグロはボスニア・ヘルツェゴビナの隣国で、ユーゴスラビア連邦共和国の構成国でしたが、2003年にセルビア・モンテネグロとして成立し、2006年にはモンテネグロ共和国として独立しました。
21世紀に入って、ようやく独立した出来立ての国だったんデスね。
EU非加盟国ではありマスが、通貨はユーロです。



出入国審査を受けて国境を越え、専用車に揺られるコト約3時間半。
モンテネグロ・コトルに到着しました。

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【コトル】 世界遺産
アドリア海沿岸のボカ・コトルスカという地域は、リアス式の複雑に入り組んだ湾を形成していて、ヨーロッパ東南部のフィヨルドと呼ばれていマス。
コトルはその湾の最奥に位置
していて、複雑な海岸線と険しい山々に囲まれた天然の要塞で、背後の山に城壁が築かれ、堅固な要塞都市として栄えました。
狭い石畳の路地が走る旧市街は、貿易によってもたらされた豪華な館や美しい教会が建ち並び、1979年に“コトルの自然と文化−歴史地域”として世界遺産登録されました。
ローマ・カトリック文化圏と東方正教文化圏の境界にあり、街には両方の教会が建っていマス。 
1979年の大地震によって多大な被害を受けましたが、ユネスコなどの協力により復旧されました。
また、2017年には3日目に紹介したクロアチア・ザダルの防衛施設ほかイタリア各地にある要塞都市とともに、16〜17世紀にかけてヴェネツィア共和国領内に築かれた防衛施設群の一つとして世界遺産登録されました(“16・17世紀のヴェネツィアの防衛施設”)。 
コトルの人口は1.3万人。 

山の前に城壁に囲まれた煉瓦色の家々が見えマス(写真)。
コトルは快晴で、また夏の暑さでした(+_+;)

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そびえ立つ石灰岩の大山の目の前は、大型豪華客船が停泊する大きな港になっていマス。

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旧市街への入場門は海の門,川の門(北門),グルディッチ門の3つがあり、これは1555年に建てられた西門・海の門
ワタシたちはここから旧市街に入りました。

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海の門の前の広場には大勢の人が行き交っていて、大砲が展示されていました。

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海の門をくぐってすぐ、目の前にある街の時計塔
1602年に建てられました。街のランドマークになっていマス。



まずは城壁の上にあるレストランでランチです。

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生サラダとグリルした鮭を添えた魚介のリゾット。
生ものは怖かったのでサラダはあまり手をつけず、お粥代わりにリゾットを頂いてみました。
出汁の風味はしましたが塩気は無く、胃腸の状態が最悪だったワタシにはちょうど良かったカモしれませんが、普通ならテーブルの塩コショウがないと物足りなかったデス。
しかも、鮭は脂がのってなくてパサパサ。
当たり前デスがバターとオイルの風味がして、やはり日本のお粥とは違うので、結局あまり食べられませんでした。

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レストランの裏手に見える山。
これが自然の要塞といわれる所以の一つとなった地形デス。

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豪華客船は港に停泊して数日過ごし、その間に客船のお客さんはコトルを観光。
優雅な船旅に憧れマス☆☆

昼食を終えて街の公衆トイレを利用しましたが、レストランを利用するとサービスチケットをもらえマス。
デスが、基本的には有料デス。



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旧市街観光開始デス。
写真に映る建物も一つ一つが元は武器庫であったり、公爵の宮殿であった施設デス。

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石灰岩から削り出された煉瓦の白壁が綺麗デス。

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聖ルカ教会
1195年に創建された、聖ニコラ広場に面した教会

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裏山を見てみると、救世聖女教会が中腹に見えマス(写真上・中央)。
1518年に創建されたカトリック教会デス。
そして、山々に沿って築かれた城壁が旧市街を取り囲んでいるのが分かりマス(写真下)。
城壁は高さ・最高20m,長さは4.5kmにも及びマス。

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聖ニコラス教会
現在の姿は1909年に創建されましたが、旧教会は17世紀半ば〜19世紀末に建てられたと言われていマス。

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教会内部には小さな祭壇があり、多くのイコン画が展示されていました。

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旧市街の建造物は建てられた時代によって、素材が異なっていマス。

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海洋博物館
コトルの貿易と発展の歴史が展示されていマス。

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聖トリプン大聖堂
ローマ・カトリックのロマネスク様式の教会
塔以外は1166年の創建当時の姿をしていて、内部は1667年・1979年の大地震のあと改修されました。

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ピマ家の館
コトルには貿易で財の成した貴族の邸宅跡がいくつか存在しマス。ピマ家のほか、ドラゴ家など。
こちらはピマ家のルネッサンス様式の館
現在はアトリエとして利用されていて、展示会等が開かれていマス。

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ピマ家の館前にワンちゃん。
暑いだろうに、日向ぼっこ(^^;)なぜ日陰を外れて…

観光後、短い自由時間でお買い物。
ここは潮の香りが漂っていて、日本の海岸でもお馴染みの腐敗臭っぽい香りがしました。

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短い滞在時間でしたが、モンテネグロ・コトルの観光は終了デス。
とりあえず、体調を崩すコトはなく済みました。
城壁に沿って専用車の待つ駐車場に向けて歩いていきマス。
土曜だったからか、城壁に沿って市が出ていて、現地産の果物などが大量に売られていました。





この日の観光はここまでで、午後は国境を越え、アルバニアに向けてひたすら移動デス。

アルバニアは赤地に鷹が印象的な国旗の国デス。
地形的にはバルカン半島諸国同様、石灰岩の白い大地で出来ていマス。
歴史的には14世紀以降オスマン帝国に支配され、ドイツ貴族によるアルバニア公国→イタリア国王によるアルバニア王国が成立し、第2次世界大戦時は同君連合であったイタリアが降伏したコトでドイツ軍に占領されました。
その後、ソビエト連邦とともに全土開放が行われ、戦後は中国の庇護の下アルバニア社会主義人民共和国が成立
しかし中国との関係も絶ち、1980年代には欧州最貧国となるが他国を批判し続けて鎖国状態となり、東欧の北朝鮮と揶揄されました。
1991年にアルバニア共和国が成立すると、貧しさからネズミ講が蔓延り、ネズミ講で得た資金で武器を買い、ユーゴスラビア紛争の際は武器を売って外貨を稼ぎましたが、やがて紛争も終息して武器が売れなくなったコトでネズミ講も破綻し、鎖国政策も終わりました。
現在は農業で生計を立てているほか、家具製造が盛んで、家具を製造してはイタリアに輸出し、それがイタリア製として売られていマス。
イタリアとの国交が盛んで、船もよく行き来して経済産業的にもイタリアに大変依存しているほか、国内で扱われている食品や家具などはイタリア製のものが多く、イタリアのスーパーも展開されていマス。また、イタリア以外のヨーロッパ諸国からも様々なものを輸入していマス。
首都はティラナで、ティラナの人口は42万人。

アルバニアに入国してからお土産物屋さんでトイレ休憩だったのデスが、そこのトイレは最悪でした。
まずペーパーが切れていてもお構いなし。
あちこち水浸しな上、残っていた備え付けのペーパーも浸水していて、手を拭くペーパータオルで拭いて目の前のゴミ箱に捨てさせられました。
硬い紙で…イスラム式でも、山の環境保全トイレでもないのに(--;)



専用車に揺られて、約6時間半。
アルバニアのティラナに着きました。

今回利用させて頂いたのは、ホテル ドーロシティ HOTEL DORO CITY。

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まず着いて驚いたのは、このバスが止まったスペースは駐車場ではなく、ホテルの目の前の公道に工事現場にある赤いコーンが並べられていて、そこに路駐する形となっていました。
これは法律的に認められているコトなのか…

中に入ると、ワタシたち日本人観光客への歓迎ムードまんまんで、フロント正面の壁には日本の国旗が掲げられていて、有線のようにJ-POPを誰かがカバーした曲が流れていました。決して現代の曲ではなく、選曲はいわゆる懐メロってカンジでしたが(^^;)
また、各部屋の鍵を渡されるまでロビーで待っていたのデスが、その間ウェルカムドリンク(キュウリ入り水?)が用意されていました。

鍵が渡されると各自移動しましたが、エレベーターが小さくて少人数ずつしか乗れず、結構な行列を作るハメになりました。
そんな時にポーターさんがワタシの荷物をすかさず持ち上げて、階段で運んでくれたのデスが、部屋に入ってスーツケースを引き渡すと、ポーターさん、何やら もじもじ もじもじ…
時間差で状況を理解しましたが、こんなにあからさまにチップを要求されたコトが無かったし、こんなに粘る人も今までいなかったので戸惑いました(^^;)

これらのようなエピソードひとつひとつ取っても、他のヨーロッパ諸国とはお国事情が違うんだなと感じました。

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とはいえ、お部屋は広さも十分で清潔感がありました。

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トイレはバスルームの扉の裏にあってちょっと狭かったデスが(写真右)、シャワーブースもあってお風呂も快適。

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壁にはゴッホ氏の画が掛かっていました。

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また、部屋にはホテルからのおもてなしのメッセージが置かれていました。
もてなそうとする気持ちは非常に手厚さを感じました。



夕食はホテルのレストラン。

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この頃には胃腸の調子はだいぶ戻ってきていました。
前菜のサラダも食べて、食物繊維を補給。

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メインはグリルチキンにピラフ。
ピラフはポタージュのような味で、どれもしっかりと味がついていて、美味しく食べられました。
思えば、この日の食事はワタシのために塩分が調節してあったのか(^^;)笑

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さすがイタリアの友好国。
デザートはティラミスでしたが、本来のマスカルポーネのものとは違って、ちょっとさっぱりした感じでした。

この時、日本はラグビーワールドカップで沸いていて、更に大きな台風が関東に上陸し大きな混乱が起こっていました。
ネットニュースで滅多に水害の起こらないワタシの地元でも、土砂崩れが起きた場所があったと被害が伝えられていました。
ワタシたちはこの旅行期間を通してお天気にはずっと恵まれ、この日も夏の暑さを嘆くくらいでした。
その一方で台風で大変な騒ぎの中、留守をお願いしていたかと思うと申し訳ない気持ちでした。
でも、ワタシたちだけラッキーで、全てがうまくいっていると思っていられたのはこの日まででした。
まさか、このあと、あのような結末が待っていたとは…

それはすでにこの日には始まっていて、夕食が終わると、アルバニアエアラインのシステムがダウンしてしまい、出発時に成田で渡されたeチケットが無効になってしまったとのコトで、新しいeチケットが渡されました。
それは今まで見たコトがないチープなカンジのチケットで、それでもワタシたちは何も疑いもせずにそれを受け取って解散しました。

解散後、近くの散策に誘われましたが、ワタシは体調を整えるために辞退させて頂き、この日は荷造りをするためにも早めに部屋に戻りました。
明日はとうとう最終日。早いものデス。

しかし、シャワーのお湯はのぼせるくらい熱かったデス(@_@;)
昨日の反動でもこんなに熱いのは求めてなかったのデスが(笑)
おまけに部屋のエアコンがリモコンで調節できると分からず、暑い夜を過ごしました(^^;) 



【1日目(2019年10月7日)】
【2日目(2019年10月8日)】
【3日目(2019年10月9日)】
【4日目(2019年10月10日)】
【5日目(2019年10月11日)】
【6日目(2019年10月12日)】
【7日目(2019年10月13日)】
【9・10日目(2019年10月15・16日)】 


 
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