TRAVEL〜Balkan Peninsula(2019.10.7〜10.14?)〜

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【4日目(2019年10月10日)】
〜スケジュール〜
8:25 ホテル出発
専用車にて【クロアチア】スプリットへ
11:00 【クロアチア】スプリット市内観光
12:00 スプリットのレストランにてランチ
13:00 専用車にて【ボスニア・ヘルツェゴビナ】モスタルへ
17:00 【ボスニア・ヘルツェゴビナ】モスタル市内観光
18:30 モスタルのレストランにて夕食
20:00 専用車にてホテルへ

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一夜明けて気づいたのデスが。。。
このホテルのお部屋。
今時オートロックじゃないホテルなんて存在しないと思っていたら、なんとまさかのマニュアルロック!
しかも、それを知らずに一夜を明かしてしまいました(@@;)
さらに、それはワタシだけでなく、ひとり参加だった他のツアー参加者の方も同じでした(o_o;)
いやはや、何もなかったから良かったデスが、恐ろしい話デスね。。。
皆様もどうか気をつけてください!←って、そんな人いないデスか!? 

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朝ごはん。
特に質素なカンジはしませんでした。
ドーナツが何だか美味しそうで、チョイスしてしまいました。



専用車にてホテルを出発デス。
ザダルの朝は、くもりでちょっと小雨交じり。
でも走っているうちに徐々に雲が晴れてきました。気温21℃。
このツアーのドライバーさんはボスニア・ヘルツェゴビナの方でした。
一昨年行った中欧5カ国の旅でも、ドライバーさんが国をまたいでお仕事をしているのは珍しくなかったデスが、やはり欧州で働く観光バスのドライバーさんはなかなか自宅に戻れないそうデス。
しかし、この日はクロアチアのスプリットに行ったあと、ボスニア・ヘルツェゴビナのモスタルに行くので、ドライバーさんはしばしおうちに戻れるようデス。 

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クロアチアでは、風力発電,火力発電,原子力発電で電気を供給していマスが、原子力発電はスロヴェニアと共同で行っていて、施設はスロヴェニア側に在り、送電線でクロアチアに引っ張っているそうデス。
EUは福島原発事故後、ドイツを中心に原子力発電廃止の方向で動いていマス。
2023年までに多くのヨーロッパ諸国が止める方向で、太陽光などの再生可能エネルギーで代替する方向で動いていマス。
中でもイギリス・ポルトガルで開発が進んでいる波動発電は、日本でも開発が進んでいるそうデス。
フランスには原子炉が70基あり、すぐには止められない状態ではありマスが、段階的に2035年までに停止させる予定なんだそうデス。
美しい自然や環境を守るためには、みんなが協力する必要がありマスね。

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川を越え、山を越え…
ティナル・アルプス山脈は、スロヴェニアからクロアチア〜ボスニア・ヘルツェゴビナ、そしてマケドニアまで続いていマス。
なので、この辺りは石灰岩がカルスト地形を形成しているそうデス。 

バルカン半島には1,100もの島が存在するそうデス。
アドリア海のバルカン半島側のダルマチア地方の海岸は本当に美しく、イタリア側はそれほどでもないと考えられているコトから、イタリア人は「神様は不公平だ」と言っているのだそうデス。
山に囲まれた地方に住むワタシからしたら、海に面しているだけめっけもんだと思わないのかと思いマスが(--;)
ちなみにアリタリア航空は2年ほど前に再び破産したそうで、エールフランスの救済を拒否。
更にルフトハンザに買収されそうになり、この日はストでアリタリアの飛行機は飛んでいなかったそうデス。
毎日、日に何千万もの赤字を出していて、国や国鉄が投資して何とか維持している状態なのに、ドイツには征服されたくないというプライドがあるとかなんとか。
国民性って恐ろしいデスね。。。

バスに揺られること約2時間半。
クロアチアのスプリットに着きました。気温は29℃。秋物の服ではとにかく暑かったデス(^^;)
といっても、出発前は防寒対策のコトを強く言われていたのでTシャツなどは持参しておらず、秋服で回るしかありませんでした(T▽T)

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【スプリット】 世界遺産
スプリットはアドリア海沿岸最大の港街で、ローマ皇帝ディオクレティアヌス(245?〜316?年)の宮殿がそのまま旧市街になりました。
宮殿自体は、皇帝が退位したあとに隠居するために海に面して建てられ、土地を埋め立てて広げられ、ザグレブに次ぐダルマチア地方の最大の都市になりました。
“スプリットの史跡群とディオクレティアヌス宮殿”は、その特殊な成り立ちと街並みにより、1979年に世界遺産登録されました。
ローマ帝国が滅亡し、異民族が大挙して入り込んできた7世紀、元々宮殿だったスプリットに人が住み着くようにありました。65近郊のサロナ(古代ギリシャ・ローマ時代にバルカン半島西部に存在した イリュリアと呼ばれる王国の都市)から追われてきた人々が、頑強な城壁に囲まれている宮殿内に避難したのが発端で、宮殿の基礎部分の上に建物を増築する形 で街を築いていったため、古代と中世の建物が複雑に絡み合っていマス。
現在人口は20万人ほど。
造船業やセメント業などが盛んな工業都市で、郊外ではオリーブやラベンダーの栽培もされており、特産品となっていマス。

ここでオリーブオイル大好きな添乗員さんからの愛すべきオリーブオイルについての小話。
世界に出回っているオリーブオイルの中で、スペイン産は約6割を占めていマス。
イタリアは2位デスが、実はイタリアは輸出するほどオリーブを生産しておらず、トルコやギリシャなど周辺国で栽培・製造したものをイタリア産として売って いるため、スーパーに出回っているイタリア産のオリーブオイルの中でよく分からない会社のものはまがい物であったり、混ぜものが入っていたりするそうデ ス。
エキストラバージンオイルとは一番搾りの食用のオイルで、二番絞り(食用)は一番搾りのあとに熱湯をかけて絞り、三番搾り(化粧品などに使用)は二番絞りのあとに更に薬品をかけて絞り出したものデス。
オリーブオイルはコレステロールを下げ、癌などを予防する効果があるとされていマス。
また、大腸で吸収されるので、便秘解消にもなるそうデス。
スペインが日本と同率の長寿番付トップになったそうデスが、日本は食文化に加えて国民皆保険で最先端医療が普及しているコトでトップを維持していマスが、 スペインはオリーブオイルのおかげで病気になる人が少ないために長寿になったと言われているそうデス(諸説あると思いマス^^;)。
そして、数多くのヨーロッパ諸国を回っているオリーブオイル大好きな添乗員さんが、最も美味しいと言っていたのがクロアチアのオリーブオイルで、特にスプリットのものは上質なんだそうデス!
オリーブの木は、白い幹のものが多く、雄の木は小さくて固めの実をつけ、雌の木はふくよかな実をつけるそうデス。オリーブの木は低めに剪定されていて、食用のオリーブは全て手摘みだそうデス。

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旧市街である宮殿はその周囲を高さ約20mの巨大な壁によって囲まれていて、宮殿内には東西南北にある門から入りマス。
東側の城壁外は青空市場が開かれていました。

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東に位置する銀の門
ワタシたちはここから旧市街に入りました。

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聖ドムニウス大聖堂
銀の門から入るとすぐ、左手に見えマス。
もとはディオクレティアヌス帝自身の霊廟として建てられましたが、のちにキリスト教の教会として利用されるようになりました。

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狭い路地のように入り組んだ道を進みマス。

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北側へ進むと…

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ストロスマエル公園に出マス。

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聖アルニル礼拝堂の鐘楼が左手に見えて、グルグール・ニンスキの像が右手に見えマス。
グルグール・ニンスキ氏は10世紀に実在した司教で、クロアチアでラテン語化が進行する中、当時開かれた宗教会議においてスラヴ語が禁止されたコトに抵抗し、スラヴ語の保護に大きく貢献した方だったそうデス。
そして、この像の左足の親指に触れると幸運が訪れると言われているそうデス。

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北側の金の門

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洗濯物も風情がありマス(笑)

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19世紀に出来た水道。
獅子の口からお水が出マス。

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南側へと進みマス。

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洗礼室。(ウラ:写真左 オモテ:写真右)
もともとはディオクレティアヌス帝によって、ユピテル神殿として建てられたものが改築されたもの

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聖ドムニウス大聖堂の正面。
例によって建物前の広場が狭いため、全体は写せませんでした。

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大聖堂正面(写真最上),大聖堂向かって左側(写真上から2番目),大聖堂の正面入口(写真下から2番目),大聖堂向かって右側(写真最下)。
最下の写真の更に右下奥(宮殿の南側)が宮殿の地下になっていマス。

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広場には当時の格好を再現した人が。

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この建物の下が、宮殿の地下に続いていマス。

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ディオクレティアヌスの宮殿の南半分は皇帝の私邸として使われていて、その地下には巨大な空間が広がっていマス。
ここにはショップが並んでいました。
短い自由時間の中で、名産のオリーブオイルやガイドさんオススメのチョコレートなどを購入。
スプリット市街ではユーロが使える観光客用のショップがありました☆
チョコレート屋さんはワタシがばらまき用に大量に購入したためか、板チョコを1個余計にプレゼントしてくれた上に、おつりがないと言って1ユーロディスカウントして下さいました(^^)




1時間ほどでしたが、スプリットの観光を終え、スプリット内のレストランに向かいました。

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レストラン近くにはオリーブの木がありました。

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ここでも生サラダに、塩,コショウ,オリーブオイルとバルサミコ酢をかけて頂きました。

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メインは鯖の煮込み料理。
それに付け合せはポレンタと呼ばれるとうもろこしの粉を固めたもの。
ポレンタは穀物の澱粉や濃厚な旨みは無く、ちょっと水っぽいような何とも表現しにくい味でした。
パサパサではないけど、ほろほろ。
鯖は日本で食べる脂ののったものではなく、ちょっとパサパサしたカンジで骨も多いため、焼くよりは煮込むのが最適なカンジでした。



再び専用車に揺られて、移動デス。
ボスニア・ヘルツェゴビナに向かいマス。
外は暑かったので、車内が快適に感じました。

しかし、国境越えの長い道中。
やはり出入国の関所で足止めされました。
日本のパスポートは、それまでのドイツとシンガポールを押さえて、前年の2018年に再び世界で一番信用されるパスポートになったそうデス。
なので、アジア系の人は日本のパスポートを非常に欲しがるんだそうデス。犯罪に利用されるコトがあるというコトですね。
出入国の審査官が以前に会ったケースでは、日本人を装ったカップルが日本のパスポートを出して入国審査を受けに来たものの、日本語で話しかけても何も答え ず、怪しく思った審査官が後ろに並んでいた日本の外交官に気づき、そのカップルにネイティブの日本語で話しかけるよう頼むと、話しかけてもやはり反応がな かったため、そのカップルは別室へと連れて行かれたそうデス。
どういう経緯で手に入れたものか知りませんが、その審査官が気づかなかったら、自分でない誰かが自分の身分を悪用するコトがあるというコトですから、怖い話デス。
ちなみに当然のコトながら、パスポートは公文書であり、自分で書き込みを加えたり、スタンプなどを押せば無効になりマス。

クロアチア,ボスニア・ヘルツェゴビナ,スロヴェニアは自国語を話すワケですが、このあたりは発音やイントネーションの違いがあるだけの表現が多く、お互いに何となくコミュニケーションが取れるそうデス。
ちなみにヨーロッパだと(英語を話せる人が多いけど)、フランス人とイタリア人は自国民間で英語を話しません。
フランス語圏の人に至っては、観光客相手にも英語を話そうとしない、というのはワタシの持論というか経験デス。
スペインもヨーロッパを支配していた歴史があり、自国民間で英語を話す人は少ないそうデス。
ドイツ人はドイツ語では訛りが強くて通じない地域があり、英語でお互いに会話している人もいるようで、積極的に外に出ていく傾向があるそうデス。
一方、アメリカはアメリカファーストの国デスから、外に出るコトを夢見ず、旅行といっても自国の国立公園を制覇するコトをステータスとしているそうデス。 そして、いろんな地域に仕事や旅行で行く方がいるかと思いますが、イランの入国スタンプが押してあるとアメリカへの入国は許可されないそうデス。それ以外 でも、イスラム圏の国のスタンプでも怪しまれるそうデス。

バベルの塔は恐ろしいデスね…
言葉が分裂し、思考が分裂したコトで宗教が分裂し…友好的な共存ではなく、自分たちの領土や権利を守るために争い合う対象になるなんて。。。

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ブドウ畑なども車窓から見えました。

向かっているボスニア・ヘルツェゴビナは、人口353万人。
首都はサラエボで、サラエボの人口は31万人。
木材業や石炭,繊維業が盛んデス。
ボスニア・ヘルツェゴビナ自体も、オスマン帝国やオーストリア=ハンガリー帝国,第二次世界大戦下ではナチスの傀儡ファシスト国家であったクロアチア独立国に支配されていた歴史がありマス。
そして、1943年にユーゴスラビア連邦人民共和国が成立すると、その構成国家の一つとしてボスニア・ヘルツェゴビナ人民共和国が成立
ボスニア・ヘルツェゴビナは多民族が混住していたため統一された民族国家とはならず、ユーゴスラビアがソビエト連邦と決別してからは、経済活動も政治的地位も低迷
1991年にスロヴェニア,クロアチア,マケドニアなどが相次いでユー ゴスラビアからの独立を宣言して紛争が始まると、ボスニア・ヘルツェゴビナの各民族間でも不信が広がり、やがて独立賛成派と反対派で民族間の内戦が起こっ てしまい(ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争)、この紛争は1992年から1995年まで続き、死者は20万人,難民は200万人にも及びました。
1994年にアメリカやNATOの軍事介入などもあり、1995年には国連の調停にて和平が成立し、独立しました。



バスに揺られるコト、約4時間。
モスタルに到着しました。

【モスタル】 世界遺産
ネレトゥヴァ川が中央に流れ、その両岸を橋でつながれている街
ボスニア語で、“橋の守り人(モスタル)”の意味
シンボルとなっている橋のスターリ・モストは、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争にて破壊されました。
2004年にユネスコの協力により復興が進み、2005年に“モスタル旧市街のスターリ・モストと周辺”は世界遺産に登録されました。
街はオスマントルコの影響が色濃く残っていマス。
モスタルの人口は約11万人。
プラスチックやアルミニウム製品などを製造していて、ブドウ栽培が盛んなコトからワインの製造も行われていマス。

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ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争による傷痕は今でも街中に残っていて、あえて象徴として残しているそうデス。
銃弾の痕が生々しく残っていマス。

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フランシスコ会教会

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このような廃墟も残っていマス。

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旧市街に向かって歩いていきマス。

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旧市街に入りました。
狭い路地にお土産物屋さんなどたくさんのお店が並んでいマス。

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ハマーム博物館

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そして、この街のシンボルである橋に差し掛かりました。

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スターリ・モスト
1566年、オスマン朝支配下時代に建てられた橋
橋脚は用いず、両岸からアーチ状に架けられている美しい橋
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の最中の1993年11月に破壊されましたが、その後復元されました。

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橋からの眺めは美しいデス。
水も透き通っていて、人々が水遊びをしているのがとても涼しそうデス。
とにかく暑かったのでうらやましい(^^;)

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橋で東側の街に入りました。

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こちらはスターリ・モスト博物館で、スターリ・モストの歴史に関する資料が展示されていマス。
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争当時の映像も流れていて、橋が破壊された過程や記録も見るコトができマス。

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更に歩みを進めマス。東側は丘の上のモスクに向かって上り坂が続きマス。
スターリ・モストと西側の市街の街並みも綺麗デス。

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トルコの旗がなびいていたり、レストランや売られている商品などトルコの雰囲気を感じマス。

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コスキ・メフメット・パシナ・ジャーミャ
1618年に建てられたイスラム教の寺院(モスク)。

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モスク前の水道。
地元の鳩や猫の憩いの場。

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中も有料で見学できマス。
短い自由時間で観光しました。

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尖塔にも登れマス。
しかし、かなり急な狭い階段を登っていくので、人とすれ違えません。

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尖塔からの絶景デス。
高所恐怖症のワタシですが、ここまで登って良かったと思いマス。

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この景色をいろんな角度から。
東側の街並み(写真最上),西側の街並み(写真真ん中・最下)

その後、旧市街地で買い物をしました。
お土産物屋さんには、実弾を加工したボールペンなど紛争の歴史を前面に出した商品が並んでいたり、トルコの名産品などが並んでいました。
また、シルクやカシミヤ100%と書かれた商品や、ルイヴィトンやバーバリーと謳った商品が、なんとルイヴィトンのロゴがプリントされた黒いビニール袋に入れられて売られてました(笑)
呼び子の文句も「Very cheep!Very nice!Very good!」と耳に残る簡単な英語で面白かったデス。

短い時間でしたが、モスタルの観光も終了デス。
夕食のレストランに向けて移動しマス。
途中、スリの女子2人組が中国人観光客の団体にくっついていったのを、現地ガイドさんが大声で「Pickpockets!」と注意喚起したのデスが、中国 人観光客は自分たちの話に夢中で全く聞いておらず、そのままスリたちと一緒に移動していってしまったので、おそらくすられました。
ガイドさんの話では、その2人組はルーマニア人で現地では有名なスリなんだそうデス。
中には子連れでスリをする人もいるようで、観光地では要注意デス。
ワタシたちからしたら、顔の違いはまったく分からないデスが(^^;)



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夕食の前菜は、ポテトパイでした。
これはホントに美味しくて、大きさもちょうど良かったデス!

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これがオリーブオイルとバルサミコ酢,そして塩コショウです。
このようにどのレストランも常備されていて、生サラダにかけて食べマス。

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メインは皮無しソーセージのハンバーガー。
ソーセージはジューシーで、バンズも適度に甘みがあって、チリソースと良く合っていて美味しかったデス。
レモネードは甘くなく、酸味がきいてさっぱりしていたので脂っこい食事に合っていました。
ボスニア・ヘルツェゴビナでの食事は当たりでした(^^)

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ただ…デザートはクッキーのはちみつ漬けだったのデスが、ちょっと甘すぎて…

そして、ホテルへと移動しました。



今回利用させて頂いたのは、ホテル ブリストル HOTEL BRISTOL MOSTAR。
宿泊税はひとり1.5ユーロ。

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旧市街地の夜景も綺麗に見れるお部屋でした。

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何より、どの部屋もデラックス級に広い部屋で、すごく豪華でした!

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設備も十分。あの扱いにくい掃除機みたいなドライヤーも懐かしかったデスが、ちゃんとしたハイパワーのドライヤーも備え付けられていて、問題ありませんでした。
ただ、足拭きマットにちょっと茶色いシミがあったのは気になりましたが。。。

部屋で荷物を解いたあと、ひとり参加メンバー4人で近くのスーパーに買い物に行きました。
男性がいたので、安心して行ってこられましたし、一緒に行動して下さる方がいると色々とチャレンジができて良かったデス。
スーパーではお土産の食品を買ったり、お酒を買ったり。
あと、みんなTシャツなんて持ってきてないけど、毎日夏のような暑さにさらされていたので、Tシャツを買う人も(^^;)
そして、買い物の後にみんなでホテルで飲み会。
メンバーは30代のワタシのほか、50代女性1名,30代男性1名,20代女性1名でした。
皆さん出身地はいろいろでしたが、ワタシを含め3名が医療関係者で、しかも初めて同職種の方と出会い、お互いに驚きました(≧▽≦)!
ちょっと夜更かししてしまいましたが、楽しいひと時を過ごさせて頂きました。



【1日目(2019年10月7日)】
【2日目(2019年10月8日)】
【3日目(2019年10月9日)】
【4日目(2019年10月10日)】
【5日目(2019年10月11日)】
【6日目(2019年10月12日)】
【7日目(2019年10月13日)】
【9・10日目(2019年10月15・16日)】


 
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