TRAVEL〜Central Europe&Germany(2017.12.15〜12.21)〜






〜スケジュール〜
| 7:30 | ホテル出発 |
| 9:00 | スロバキア・ブラチスラバ散策 ○聖マルティン大聖堂 ○ミハエル門 ○フラヴネー広場 ☆スロバキアのクリスマスマーケット |
| 10:30 | 専用車にてハンガリー・ブダペストへ |
| 13:00 | ブダペストにて昼食 |
| 14:00 | 世界遺産ブダペスト観光 〇マーチャーシュ教会 〇漁夫の砦 〇くさり橋 〇聖イシュトヴァーン大聖堂 〇英雄広場 ☆ブダペストのクリスマスマーケット |
| 18:30 | ブダペストにて夕食 ブダペストの夜のクリスマスマーケット |
| 20:00 | ドナウ川クルーズ |
| 21:30頃 | 専用車にてホテルへ |
ウィーンの一夜が再び明けました。

この日も例のうずまきパンをまたチョイス。

出発時刻の7:30はまだ薄暗く、朝早すぎて眠い…
でもこの日は2カ国回るので時間がキツキツ。仕方ありません。

スロバキア・ブラチスラヴァに入りました。今回の旅の訪問国・第四カ国目デス。
天気は快晴。
ブラチスラヴァはスロバキアの首都。
ハンガリーとオーストリアと接していて、特にウィーンとは近いため歴史的な結びつきが深いようデス。
ブラチスラヴァの街は1世紀からローマ帝国の駐屯地として開かれました。
7世紀にチェコからスロバキアにかけてスラヴ人による国家が成立。
その後、9世紀頃から長年にわたりハンガリー王国の国土の一部でありましたが、1541年ハンガリー王国の首都がオスマン帝国に攻め落とされ、その後王位はハンガリー貴族ではなくハプスブルク家が継ぐようになりました。その後、ハンガリー王国の首都はブラチスラヴァに移され、267年近くの間に18名がハンガリー王として即位し、その中にはマリア・テレジアもいました。
19世紀頃から起こった民族復興運動により、1918年にチェコスロバキア共和国が誕生。
1993年にチェコから分離独立し、スロバキア共和国になりました。

ブラチスラヴァ城が見えました。

ドナウ川に架かるSNP橋。
ヘンテコな形の橋ゲタはUFOの塔と言われ、展望台になっていて、レストランも入っているそうデス。

ブラチスラヴァ城。
テーブルをひっくり返したような形をしているとんがり屋根のお城。
ドナウ川のほとりに建っていて、12世紀にロマネスク様式で建てられた石造りの城を15世紀半ばにゴシック様式の要塞に改築。その後、オスマン帝国の侵攻に備えて四隅の塔が付け加えられたそうデス。
16世紀にはハンガリー王国の首都になったため、王の居城となり、マリア・テレジアも住んだそうデス。
現在、城の一部は博物館になっていマス。
しかし…寒い。。。極寒!
チェコやオーストリアは寒いと言ってもまださほどでもありませんでしたが、スロバキアの朝は寒すぎました!
体感としては−5℃以下で、手がすぐにかじかんできました(>_<;)

とにかく、ブラチスラヴァ城の麓から旧市街に向けて観光開始デス。

ペストの終結を記念して建てられた、三位一体の碑デス。

写真左手にはブラチスラヴァ城が見えマス。
逆光で分かり難いカモしれませんが、手前に見られる水色地に文字の書かれた壁の先に続く城壁を隔てて、ユダヤ人居住区が定められていました。
ブラチスラヴァの街もまた戦争により焼失したものを復元した歴史がありマス。
ホロコーストの象徴として建てられたホロコースト記念碑デス。

この黒い像の周りはちょっとした広場になっており、その奥に見えるのが…聖マルティン大聖堂。

聖マルティン大聖堂。
14世紀初頭に建てられたロマネスク様式のブラチスラヴァで最古の教会で、歴代ハンガリー王の戴冠が行われていた。
塔の高さは85mで先端にはハンガリー王冠のレプリカが付いている。
内部は大理石やステンドグラスが綺麗で、地下にはハンガリー王室の墓なども公開されている。
聖マルティン教会も激しく傷んでいましたが、修復されました。

教会の右手を進んで行きマス。

教会の窓には子供たちの絵が描かれていマス。
こちらの外壁も激しく傷んでいましたが、だいぶ修復されました。

ここから旧市街へ向かって行きマス。


ファーマシー・サルヴァトール。
17世紀にハンガリーの大司教によって建てられたネオルネッサンス様式の建物で、何度もオーナーや位置が変わり、現在の構造に落ち着きました。
1904年に薬剤師のルドルフ・アドラーによって構築されたブラチスラヴァ旧市街の薬局でしたが、1727年から今日までの薬学・製薬の備品のプライベートコレクションを含んでいました。1996年に閉鎖されています。
さらに道なりに進んでいくと…多くの音楽家たちが滞在した家が点在していマス。

ベートーベンハウスです。


ハイドンハウスです。窓枠の花はロココ調のモチーフです。

ブラチスラヴァの大学。33ある大学のうち、23は国立で授業料は無料だそうデス。

モーツァルトハウスです。


リストハウスです。
リストの母はスロバキア人だったそうデス。

こちらの建物の2階部分は劇場になっていたそうで、雅楽や落語,浄瑠璃なども披露されていたそうデス。

1800年代にナポレオンによりフランスの侵攻を受けた際、大砲による攻撃を受けましたが、未だにこの建物には大砲の弾跡が残っていマス。

ミハエル門。
旧市街の城壁にいくつか設けられていた門のうち、唯一現存しているもの。
14世紀に建てられた当初は背の低いゴシック様式でしたが、16世紀にルネサンス様式に改築された。
塔の部分は現在、武器博物館になっているそうデス。

旧市庁舎。
フラヴネー広場の東側にある、ゴシックとバロック様式が見られる建物。
現在は市歴史博物館として、ブラチスラヴァの歴史的な資料や工芸品が展示されている。

そして市の中心地、フラヴネー広場デス。
広場を取り囲むようにカフェや露天などが並んでいマスが、日本やギリシャ,アメリカ,ドイツなどの大使館も集中していマス。

まだ朝早すぎてほとんど開いてませんが、クリスマスマーケットのお店も並んでいました。

旧市街のの街中にはユニークなブロンズ像が点在していマス。

この街の芸術家の作品だそうデス。
マンホールから出てくる人…(^^;)

スロバキア国立劇場。




フヴィエズドスラヴォヴォ広場。咬みそうな名前デスが、スロバキアの詩人の名前に由来するそうデス。
非常に縦に長い広場デス。
ここにもクリスマスマーケットが出ていました。

フヴィエズドスラヴォヴォ広場の真ん中にあるのが、その詩人・フヴィエズドスラヴォヴォの像デス。
しかし…とにかく寒すぎて、とにかく早くバスに戻りたくて(笑)
バスに戻ってホッとしました(^。^;)

いよいよ、今回の旅で最後の訪問国・ハンガリーへと向かいマス。

いよいよハンガリー・ブダペストに入りました。第五カ国目。

ちょっとした渋滞が起こってましたが、ゆっくり進みマス。
ブダペストと書かれたバス。


ブダペストはオーブダ・ブダ・ペストの3つの都市を統合して出来た大都市で、ハンガリーの首都デス。
23区からなり、真ん中をドナウ川が流れていて、そこには8つの橋が架かっていマス。
まずは“ペスト側”に向かいマス。

まずは昼食。日が昇って時間が経ったので、寒さは和らいでいました。

シーザーサラダと紅茶。

ビーフストロガノフ。正直、お米は粘り気がなくてあまり美味しくありませんが、シチューはまろやかなデミグラスソースが美味しかったデス☆

サービスでついてきたベリーケーキ。
このお店はハンガリーワインを取り揃えているお店みたいで、おしゃれな作りの店内にはワインボトルがたくさん並んでいました。
だいぶ埃をかぶっていましたが(^^;)
即興の演奏なんかも見られマス。もちろん、演奏終わりにはCDの販売がありマス。買わなくてもOK。
そういえば、トイレの鍵が壊れていて、ツアー参加者の方たちと示し合わせながら入りましたっけ。
そして、ハンガリー観光開始です。

聖イシュトヴァーン大聖堂。
初代国王イシュトヴァーンを奉ったブダペスト最大の教会。
ネオルネッサンス様式で、写真は左後ろ側デスが正面両脇には80mの塔を従えていマス。
本堂中央ドームは96m。
1851年より建設開始し、1906年に完成。


右後ろ側から正面に回り込んで入場しました。

本道に入っていきマス。


イシュトヴァーン礼拝堂。
イシュトヴァーンは国王でありながら、熱心に布教活動も行っていました。
祭壇の前にある聖遺物入れには彼のものとされる「聖なる右手」のミイラが収められていマス。


正面・主祭壇(写真上)と本堂中央天井(写真下)。
天井に至るまで綺麗な装飾が施されていマス。

主祭壇。
聖イシュトヴァーン像と彼の生涯を描いたレリーフが飾られている。

主祭壇と対側にあるパイプオルガン。

他にもいくつか祭壇がありマス。
そして、正面より外に出マス。

目の前の広場ではクリスマスマーケットが開催されていました。


聖イシュトヴァーン大聖堂の正面デス。
大きなツリーが立っていて、大変賑わっていました。

露店が列をなして、ぎっしり並んでいマス。
再びバスに乗って移動。


ハンガリー建国1000年を記念して1896年に造られた大きな広場。

中央の36mのポールに大天使ガブリエルが立ち、足元には各部族長の騎馬像がありマス。

半円形の大列柱(写真上:広場に向かって左手、写真下:向かって右手)の間には、イシュトヴァーンやマーチャーシュ王など歴史に残る国王たちや、ハンガリー独立のために闘った近代指導者たち14人の像が並んでいマス。


広場に面して、向かって左手に西洋美術館(写真上)、向かって右手に現代美術館(写真下)もありマス。

アンドラーシ通り 【世界遺産】
ブダペストは“東欧のパリ”と呼ばれていて、この通りは“ハンガリーのシャンゼリゼ通り”と称されているそうデス。
1872〜1885年にかけて建設された約2kmの直線道路デス。

アンドラーシ通り沿いにある国立歌劇場。

通りに面していないので写真にはありませんが、付近にはリスト音楽院があり、リストが住んでいたアパートもあるそうデス。また、通りにはリスト記念館もありマス。
また、ブダペストにはイギリスを除いて、ヨーロッパ最古の地下鉄が走っているそうデス(ブダペスト地下鉄1号線)。それも世界文化遺産になっていマス。
エルジェーベト広場。
観覧車が速い(^^;)
ブダペストには多くのシナゴーグも存在し、特にドハーニ街シナゴーグはヨーロッパ最大なんだそうデス。
この翌年にポーランドへ行く機会を得ました。
その際、アウシュヴィッツ強制収容所を訪問させて頂いたのデスが、収容所に収容された方の数は世界的に見てポーランドの方が一番多かったと思っていたのデスが、実はハンガリーの方が約43万人と最も多かったそうデス。


そして、エルジェーベト橋(世界文化遺産)を通って、“ブダ側”に渡りマス。

クリスティーナ聖母教会。

“ペスト側”が見えマス。

そして、見えてきたのがブダ側から見るくさり橋デス。

くさり橋 【世界遺産】
ドナウ川に架かるブダペストのシンボルで、四頭のライオンが橋の袂に座っていマス。
長さ375m,幅16m。中央の48mの石のアーチと鉄によって支えられていマス。
ドナウ川に架ける最初の堅固な橋として19世紀半ばに建設されました。
主塔に架けられたロープに相当する構造が、自転車のチェーン鎖のようになっていることからセーチェニくさり橋と呼ばれていマス。
セーチェニとは19世紀後半にハンガリーの発展に大きく貢献したセーチェニ伯爵のことで、彼が私財を投じて橋の建設に取り掛かったそうデス。
第二次世界大戦によって爆破され、戦後に再建。
16時を回った頃でしたが、もう暗くなってきていマス。
この時間は渋滞も多く発生するようで、この時も細い路地の路上駐車車のためにバスが通れず、手前で降りて歩いて次なるスポットへ向かいました。


漁夫の砦 【世界遺産】
ドナウ川に面して築かれた白亜の砦。
1896年の建国1000年記念建造物として計画され、シュレクによって1902年に完成。
ハンガリー的なとんがり屋根の大小7つの塔に、ロマネスクとゴシック様式が混ざり合ったユニークな回廊がある。
ここから眺めるドナウ川とペストの街並みは美しく、ブダペスト観光のメッカになっているとか。

というワケで、砦を昇っていきマス。



砦の中腹から見たペスト側の街並みデス。
国会議事堂(写真上)と聖イシュトヴァーン大聖堂の尖塔(写真真ん中)が綺麗に見えマス。

更に昇っていきマス。


少しずつ街に灯りがともされ、幻想的な夕景が現れてきました。くさり橋(写真上)も見えて来ました。
確かに、綺麗すぎて感動デス!

砦の頂上にある聖イシュトヴァーン騎馬像。

そして、頂上にあるのが、マーチャーシュ教会デス。

マーチャーシュ教会(写真左)と三位一体広場(写真右) 【世界遺産】
マーチャーシュ教会はジョルナイ製のカラフルなモザイク屋根で覆われていて、正面入口の右側に80mのマーチャーシュ塔、左側に36mのベーラ塔が建つ、アンバランスな建物。
13世紀に建てられたロマネスク様式の聖母教会は15世紀マーチャーシュ王時代に大規模に改築され、マーチャーシュ教会と呼ばれるようになりました。
オスマン・トルコ時代にはモスクと化し、イスラムの文化も入ってきたので模様が独特な部分もありマスが、18世紀には戻されてゴシック様式に改築され、19世紀にはネオ・ゴシック様式になりました。
1867年にオーストリアのフランツ・ヨーゼフ皇帝とエリザベート皇妃のハンガリー王としての戴冠式がここで執り行われ、リストもその日のために“ハンガリー戴冠ミサ曲”を作曲し、自ら指揮をしたそうデス。
三位一体広場の中央には、18世紀にゴシック様式で建てられた三位一体像が立っていマス。
こちらもペスト記念碑デス。

大聖堂の内部デス。
オレンジ・ブラウン・ゴールドを基調とした豪華絢爛な内装デス!

中央の主祭壇(写真左)とパイプオルガン(写真右)




イスラムの文化も入ってきたことで、東洋の要素と西洋の要素が融合した不思議な空間になっていマス。
壁や天井には西洋のフレスコ画が細かく描かれていマスが、その中にマジャル模様や唐草模様,幾何学模様など東洋の要素が見受けられマス。


マーチャーシュ王の紋章。
かつては鐘楼にあったものを19世紀に移動させ、周囲をフレスコ画で飾ったそうデス。

教会から出ると、目の前には三位一体広場が広がっていマス。
17時頃でもう真っ暗でした。

マーチャーシュ教会の正面デス。
そして再びバスに乗って、ペスト側へ。
ちなみにハンガリーはハンガリー語デスが、最も発音の難しい言語の一つだそうデス。
ガイドさんの話では、「おはよう」は“ヨウレッゲルド”、「こんにちわ」は“ヨウナポット”、「こんばんわ」は“ヨウエシュティド”、「さようなら」は“ビスラート”、「ありがとう」は“ケッセンネム”というそうデスが、細かな発音は全く聞き取れませんでした。

18時半頃、夕食デス。


前菜のスープ(写真上)とハンガリー名物のチルケ・パプリカーシュ(写真下)。
パプリカとバターでチキンを炒め煮したもので、付け合せにジャガイモか何かの澱粉で出来たすいとんのようなモノとピクルスが付いていました。
チキンは軟らかくて、味付けもバターとパプリカのコクのあるソースで美味しかったデス。

デザートのフルーツポンチ。フルーツポンチにバナナはいらないカナ…

少し時間があったので、聖イシュトヴァーン教会前のクリスマスの夜景を堪能しに繰り出しました。

聖イシュトヴァーン教会前のクリスマスマーケットの華やぎが昼間とは違っていました。



時間になると、3Dのプロジェクションマッピングが展開されマス。
聖イシュトヴァーン教会の外壁に、教会や兵隊のキャラクターが映し出されました。
伝統的建造物×プロジェクションマッピングは世界共通なんデスね(^^;)
クリスマスのワクワク感はありましたが、教会との相性は疑問が残るような…(笑)

ショーが終わると、次回の時間が表示されマス。
ライトアップされた教会は綺麗デス☆☆

そして、この旅のハイライト。
ドナウ川クルーズへと向かいマス。

くさり橋(写真右側)と王宮(写真左手上部)とマーチャーシュ教会(写真右側上部)が映る夜景。これだけでも絶景デス!

いよいよ乗船デス。
船はワタシたちのツアー客で貸切状態でした。
くさり橋手前の乗船場より、ドナウ川沿いに見られるブダペストの夜景を楽しみマス。

まず左手(ブダ側)に見えるのが、マーチャーシュ教会。黄金にライトアップされていマス☆

そして、右手(ペスト側)間近に見られるのが国会議事堂。世界文化遺産デス。

ペスト側の夜景。

ピンボケですが、マルギット橋。世界文化遺産デス。

引き返して、正面に見えるくさり橋。
左手がペスト側,右手がブダ側。
息を呑む美しさデス!!

またピンボケですが、奥にはマーチャーシュ教会。

王宮・ブダ城デス。世界文化遺産デス。
マーチャーシュ教会のあるブダの丘伝いにそびえ立っていマス。

ドナウ川にはこのように橋が架けられていマス。

ゲッレートの丘と聖ゲッレート像。

サバッチャーグ橋。自由橋と呼ばれていマス。


橋をくぐって…


引き返しマス。
甲板で撮影をしていて、寒い屋外から船内の温い空間に入ったコトで、帰りはウトウト…(。-_-。)
そんなこんなで約1時間のクルーズは終了。
ハンガリーでの全行程を終えて、残念デスがホテルへ向かいマス。
出来れば、丸一日をかけてもっとゆっくりブダペストの街を回りたかったデス(T_T)

ハンガリーで利用したのは、メルキュール ブダ MERCURE BUDA。

ウィーンのホテルと比べると、ツインの割には手狭。清潔感はありマス。

バスルームもかなり狭かったデスが、アメニティーは充実していて、ティッシュも備え付けてありました。
そして、入浴してみたのデスが、素っ裸になってからシャワーへの切り替えがよく分からないと気づき、5分くらい試行錯誤してようやくシャワーに切り替えられたのデスが、シャワーノズルが壁に備え付けで、使いにくかったデス(-_-)
こうして、ハンガリーの一日は終わりました。
悲しくも、明日は帰国日デス。
【1日目(2017年12月15日)】
【2日目(2017年12月16日)】
【3日目(2017年12月17日)】
【4日目(2017年12月18日)】
【5日目(2017年12月19日)】
【6・7日目(2017年12月20・21日)】
【2日目(2017年12月16日)】
【3日目(2017年12月17日)】
【4日目(2017年12月18日)】
【5日目(2017年12月19日)】
【6・7日目(2017年12月20・21日)】






